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博物館で触れる、台湾の歴史①

世界で最も親日と言われる台湾。

日本から訪れる観光客の数も年々その数を増やしている一方、

かつてこの地で起きた出来事は意外と知られていない。

多くの民族がともに暮らし、歴史を築いてきた台湾。

その歴史に触れ、台湾を深く知ってみよう。

順益台湾原住民博物館台湾先住民族の豊かな文化に魅了される~

1994年に開館した「順益原住民博物館」は、

コレクターとして台湾原住民に関する文物を収集していた林清富氏による

社会から得たものを社会に還元すべき」という理念に基づき設立。

林氏が個人的に集めたコレクションを主とし、現在は2000点を超える展示物が公開されている。

入口上部のオーニングには原住民アーティストのサクリュウ・パワワロン氏によるレリーフが飾られている。

台湾原住民とは、中国大陸からの移民が盛んになる以前から居住していた先住民の総称で、

中国語では「先住」が「すでに滅んだ民族」を指すため「原住民」と呼ばれる

(※日本では「原住民」が差別的な意味を含むとして「先住民」を用いる)。

現在台湾政府に認定されている原住民は16民族

実際にはまだ認定されていない民族も多く残され、これから新たに認定される民族も増えていくとみられる。

同博物館は地下1階~3階までの4フロアでそれぞれ

信仰と祭礼」、「服飾と文化」、「生活と道具」、「人と自然環境」をテーマに展示。

同館日本人スタッフの川島さんによると、3階から降りてくるルートがオススメだそう。

3階の「服飾と文化」フロアでは、カラムシ(イラクサ)から布を織る様子や染色、各民族の伝統衣装を展示。

そのほかパイワン族の「三宝」の1つであるトンボ玉も。残りの2つ、「陶壺」と「青銅刀」は2階に展示されている。

(写真左上:プユマ族の衣服、右上:パイワン・ルカイ・プユマ族のみ保有した装飾品トンボ玉、

左下:陶壺、右下:パイワン族のカラフルな喪服)

地下1階「信仰と祭礼」に展示されるのは、唯一離島・蘭嶼に暮らすタオ族の信仰するアニミズムや、

タオ族とアミ族の一部を除く各民族に伝わった「首狩り(出草)」に関する資料

成人男子としての通過儀礼だった首狩りは、1935年頃まで行われていたとか。

(写真右:タオ族のカヌーに似た木製漁船「チヌリクラン」、左:実際に人を斬ったとされる刀)

川島さんの豊富な知識と魅力的なお話に、取材班もすっかりのめり込んでしまいました。

同博物館では日本語ガイドも随時行っているので、必要な場合はwebサイトからお問い合わせください。

info

シュンイータイワンユエンジューミンボーウーグワン

順益台湾原住民博物館

住:台北市士林区至善路二段282號

電:02-2841-2611

営:9時~17時(月曜休み)

U:bit.ly/2KdKiPO(日本語)

ACCESS

MRT淡水線「士林」駅で下車、中正路のStarbucks前からバス「255」で約15分、

「衛理女中」で下車。またはバス「紅30」で約12分、「外双渓」で下車

二二八記念館~悲惨な時代の幕開けとなった歴史事件~

台湾において史上最大の悲劇と言われる「二二八事件」

発端は1947年2月27日、戦後中国大陸からやってきた国民党政権統治下の台北で、

闇タバコを販売していた女性が密売取締員と警察官により殴打されたことに抗議する市民が、

翌28日にデモ行進を実施。行政長官公署や専売局前で抗議行動を行ったところ

憲兵隊が階上から無差別の機関銃掃射で非武装のデモ隊を銃撃、殺害した。

日本統治下の1930年に建てられたラジオ局「台北放送局」が戦後「台湾広播電台」と改称され、

二二八事件に抗議する人々がここから事件に関する放送を行った。

同記念館では当時のことを知る方々によるボランティアのガイドが用意され、

今回お世話になった陳萬益さんもその1人。

陳さんは日本語教育を受けたため日本語を話すことができるうえ、

事件の引き金となったタバコを販売していた「天馬茶房」にいたという。

(写真左:日本語ガイドを務める陳萬益さん、右:事件発生年、若かりし頃の陳さん)

天馬茶房は太平町2丁目、現在の南京西路185巷にあり、

沖縄や香港、上海などから密輸された外国製タバコを販売しており、

陳さんはそのきれいなパッケージを眺めるのが好きで日々通っていたのだそう。

ところが騒ぎが起きて、陳さんは慌てて自宅に戻り、息を潜め隠れて過ごした。

事件の背景には、腐敗した国民党政府の政治体制と、

国民党以前に大陸から移民した「本省人」よりも

以降の移民「外省人」の優遇に対する不満がある。

日本の敗戦による撤退から本省人が「祖国復帰」を喜んだのもつかの間、

政府の汚職に失望していた中の事件をきっかけに、本省人と外省人の対立も激化。

総司令官・陳儀は「独立派の暴動」などと偽情報を蒋介石に送り援軍を要請し、

送り込まれた第21師団と憲兵隊らによる虐殺が始まる。

多くの知識人が投獄、拷問され、それから40年にも渡る白色テロ(戒厳令)時代に突入したのだった。

(写真右:敗戦により帰国する日本人と、台湾に上陸する国民党軍

当時の風刺漫画。手と足に針金を通され、基隆港から海に落とされた本省人を描いている

専売局認定タバコ販売店の標識

天馬茶房で殴打された女性。夫は早逝しタバコ売りで家計を支えた。

当時国際的に禁止されていた「平頭弾」が撃ち込まれた医学書

犠牲者の数は28,000人に上ると言われる。

info

タイベイアーアーバージーニエングワン

台北二二八紀念館

住:台北市中正区凱達格蘭大道3號

電:02-2389-7228

営:10時~17時(月曜休み)

bit.ly/2OyttQU

ACCESS

MRT淡水線「台大医院」駅1番出口から二二八紀念公園の中を南下。

公園内南西角に位置